観察会記録(2025年1月度)

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賤ヶ岳・雪山登山

観察会 : 2025(令和7年)年1月24日(金)  時間 : 9時30分〜14時40分  天候 : 曇りのち晴れ

コース : JR余呉駅→江土登山口→大岩山→首洗いの池→賤ヶ岳(421m)→飯浦越→余呉湖荘跡
      →余呉湖ビジターセンター→衣掛柳→JR余呉駅(解散)
      
コースタイム : R余呉駅9:35出発→江土登山口9:50→岩崎山10:10→大岩山10:40→首洗いの池10:55
          →11:30(小休止)11:40→賤ヶ岳山頂12:00着(昼食)12:40発→飯浦越13:00→
          余呉湖荘跡13:30→余呉湖ビジターセンター14:25→衣掛柳14:30→JR余呉駅14:40着
         (解散)

参加者 : 11名

<観察会概要>
 大阪駅から2時間10分。JR余呉駅に9:30に全員集合し江土登山口に向かう。駅周辺に雪はほとんどなく、時たま道路の端に解け残った雪の塊を見かける程度。登山口でスパッツをつけたり、ストックを出したり準備。しかし、残念ながらアイゼンを装着するような雪は望めないようなのでアイゼンはリュックの中でスタンバイのまま。
 9:50登山開始。緩い勾配の広い山道を20分ほど進むと高山右近が陣を張った岩崎山に着く。そこから30分ほど進むと茨木の城主であった中川清秀が壮絶な討ち死をした大岩山の合戦跡があり、さらに進むとその清秀の首を洗ったという「首洗いの池」がある。
江土登山口 大岩山 中川清秀の墓 「首洗いの池」意外に小さい!
 このあたりまでほとんどフラットな道が続き、風もなく、雪もなく皆さん軽い足取りで、、、と言いたいところだが、雪解けの山道はぬかるんでいてドロドロ。靴の裏に泥がくっつき重くなるし、季節外れの暖かさに、(雪山を想定した服装でもあり)皆さん汗だく。
小休憩中

山頂み向かって進む・・・
 小休憩で服装調整などをすませ、20分ほど急な坂をのぼると賤ケ岳山頂に到着。眼下には余呉湖が一望でき、遠くに見える山々は真っ白な雪に覆われていて、「きれいだね〜!」と思わず歓声があがる。
 山頂からはぐるっと周囲を見渡せて、琵琶湖や白く雪化粧した湖西の山々を望めた。この日は琵琶湖に雲海?が広がり、とても幻想的な風景も見ることができた。
地元出身の須川常美作の武士像 雲海に覆われた琵琶湖 方位図を見ながら「奈良はどっち?」
 賤ケ岳は1583年、羽柴秀吉と柴田勝家が覇権を争った「賤ケ岳の戦い」の戦場跡で、この合戦の際秀吉の配下で活躍した七人の若き武将たちは「賤ケ岳の七本槍」として世に知られている。また、余呉湖は東西1.2q、南北2.3q、周囲6.4qの淡水湖で、琵琶湖より約50m高い位置にあり、冬はワカサギ釣りが行われ水鳥も多く飛来する。

 昼食後、全員で余呉湖をバックに集合写真を撮り12:40に下山開始。
 展望台の横から山道を下り20分ほどで飯浦(はんのうら)越の分岐、さらに20分ほど下ると湖岸の余呉湖荘跡に到着。下ってきた(飯浦へ続く)切通しは、賤ケ岳の戦いにおいて両軍入り乱れて、槍を振るっての大激戦地であったそうだ。

    飯浦越の切通し
 余呉湖荘跡からは、余呉湖を右に見ながら湖岸に沿って舗装路を進む。遠くにワカサギ釣りをする人たちや気持ちよさそうに水面に浮かぶ水鳥たちの姿も見え、振り返るとさっき登ってきた賤ケ岳の山頂が見える。
            
湖岸の舗装路をてくてく、てくてく、、、
余呉湖ビジターセンター 登ってきた賤ケ岳が正面に見える
 余呉湖ビジターセンターを経て、天女が羽衣を掛けたと伝えられている「衣掛柳」の前をとおり、14:40にJR余呉駅に到着・解散。
 残念ながら雪の中を歩くことはできなかったけれど、風もなく穏やかな天気にめぐまれ、余呉湖や周辺の冠雪した山々を望むことができ気持ちのよい一日を過ごすことができました。
   
      衣掛柳





 
       余呉駅


    歩行距離:9.9q、
    上り :408m
    下り :408m
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