観察会記録(2024年2月度)
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有馬富士から花山院



観察会 : 2024(令和6年)年2月23日(金)  時間 : 10時10分〜14時25分  天候 : 曇り時々雨

予定コース :  新三田駅〜有馬富士公園パークセンター〜かやぶき民家〜有馬富士(昼食)
         十二妃の墓〜花山院〜花山院バス停

コース・タイム :
      JR新三田駅10:10〜10:50かやぶき民家11:00〜11:25有馬富士登山口〜11:40有馬富士山頂
      〜11:50有馬富士登山口(昼食)12:1512:55千丈寺湖(休養ゾーン)13:00〜
      13:20十二妃の墓13:25〜13:50東光寺花山院菩提寺14:05〜14:25花山院バス停14:53〜
      JR三田駅15:00着
      
参加者 : 12名

<観察会概要>
  小雨が降ったり止んだり、当初の予定コースを変更し新三田駅から国道176号線にある福島長町交差点を渡りイチゴ狩の出来るビニールハウス「新さんだ農園いな岡」横を通って有馬富士公園へ、福島大池から流れ出る大池川沿いに「かやぶき民家」に向かう、ひな人形の飾られた「かやぶき民家」で小休止。
福島大池と有馬富士 かやぶき民家
 西側の登路から有馬富士山頂へ、裏六甲や千刈池方向にある羽束山などの山々が見渡せる。登山口まで戻り昼食とする。
有馬富士山頂(374m)  小さなピークをいくつか越えて休養ゾーンへ。「休養ゾーン」は2005年に第29回全国育樹祭が兵庫県で初めてこの地域で開催され、後に公園として整備が進み現在「休養ゾーン」(13.9ha)と呼ばれるエリアになっている。有馬富士の里山と千丈寺湖の間にある休養ゾーンは、緑と水の潤いのある癒しの空間で大芝生広場や共生センターがあり、多目的室、会議室、里山工作室、プレイルーム、調理実習、和室等の設備があり里山保全とその利活用の拠点及び来園者の交流施設になっている。
大芝生広場  休養ゾーンを通り抜け十二妃の墓へ。資料によると、第65代花山天皇は19才で皇位を去り、仏門に入り法皇となり、三十三ヶ所の霊場をまわり三田の紫雲山で隠遁され、この寺を花山院と呼ぶようになった。京の女官11人は、法皇を慕って訪ねたが、女人禁制の為、尼となって山のふもとに住んだ。尼達は、坂を登り、これ以上立ち入れない所で琴を弾いて法皇を慰めた、この参道の坂を、「琴弾坂」と言うようになった。また、いつの頃からか定かでないが、この地を尼寺(にんじ)と呼ぶようになった。尼寺の中央の丘に、妃の弘徽殿(こきでん)祇子と11人の女官の墓がある。
 また西国三十三ヶ所観音霊場の番外札所が3カ所あり、番外は法王が剃髪された元慶寺(京都)、巡拝創始者徳道上人の法起院(奈良)そして菩提寺の花山院、この3カ寺を特別札所とされている。
十二妃の墓
 十二妃の墓からすぐ上、バス停横を通りすぎた坂道の左側に天満宮があり、この尼寺天満神社は、「創立年不詳、長保5年(1003年)に花山法皇登山の事遠近に聞え、四方より参詣するもの多しと、傳えられる」
 急な坂道(琴弾坂)を登り、しばらく歩くと山門、門をくぐり石段を上がると「花山法皇殿」と「薬師堂」の二つの本堂がある、薬師堂横の東側には幸せの七地蔵尊、七体の地蔵は左手にそれぞれの役割を象徴するものを持って、右手は参拝者が握って願い事を頼めるように差し出されている、法皇殿前の一段高い玉垣の中に御廟所。境内の納経所や不動堂がある前の展望所から歩いてきた有馬富士方向を見渡し帰路の途に就く。
尼寺天満宮 本堂と薬師堂
御廟所 山門
 今回は曇天と小雨の中、有馬富士公園から平安時代後期に作成された歴史物語大鏡に記載された「花山院の出家」の東光山花山院菩提寺へと歩いた、なぜか最近の観察会は天候不順?



                              足跡図(沿面距離 約9.3Km)

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