観察会記録(2022年2月度)
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大阪府:大阪城梅林と天守閣見学

観察会 : 2022(令和4年)年2月25日(金)   時間 : 4.0時間     天 候 : 晴

コース :  大阪城公園梅林→天守閣→重要文化財構築物→大手門

コース・タイム :
        10:30JR大阪城公園駅→10:40青屋門→10:45梅林(梅観察と昼食)→12:40大阪城天守閣
      →14:05金明水井戸跡→14:15ミライザ大阪城→14:20桜門→14:40大手門

参加者 : 12名
「観察会概要」
 当初予定の大阪市平野郷ガイドウォークが中止の為、その代わりとして、今が見ごろと思われる大阪城公園の梅林での観察と久方ぶりに大阪城天守閣に登ると共に、城内の散策を実施した。JR大阪城公園駅にて集合し、ジョウテラス・大阪城ホールを通過し、「青屋門」から城内に入った。濠には多数の水鳥が見られた。
 青屋門を通り抜けると直ぐに梅林入り口がある。ここから梅を見ながらゆっくりと梅林の散策をスタートした。この梅林は府立北野高校卒業生(六稜同窓会)が開校100周年事業として、22種・880本を大阪市に寄付した事で、昭和49年3月に開園となった。 今では、100種を超え、1,270本見ることができる。
 今年は、寒い日が続いた影響か遅いようで満開はまだ先の状況です。それでも開花しているものを見ながら梅林内を暫くブラブラ散策していると、ボランティアガイドさんに出会い、一枚刷りの「大阪城公園梅林MAP」を貰うと共に、下記の人気・希少品種の木を案内して頂いた。
「初雁」・・・白色、雁が渡り初める頃に咲く。
「本黄梅」・・黄色、花弁細く、しべが目立つ。
「楊貴妃」・・ビンク、艶やかで大きい花。
「華農玉蝶台閣」・・白色、花の中からもう一つ
          の花が出現。全国でも
          数本のみ。
「紅千鳥」・・赤色、雄蕊の先に旗弁(雄蕊が
       花弁化したもの)が出る事がある。
「緑萼」
「思いのまま」・・枝あるいは一輪の花弁ごとに
         白・紅が混ざる咲き分け品種。
「武蔵野」・・日本で一番大きな花(5p)。
「朱鷺の舞」・・白い花びらにピンクで化粧。
「てっけん」・・開花と同時に花弁が落ち芯のみ
「米良」・・・米粒みたいな小さい白い花が咲く
朱鷺の舞」 紅千鳥
 上記で花がみれたのは「朱鷺の舞」・「紅千鳥」 のみであり、本日、多く咲いていたのは「緑萼」 というものでした。梅の萼は赤が多いが、これは文字通り「萼」が緑で、珍種の部類とのこと。 又花が終わりかけの「?梅」や「スイセン」があちこちで見られた。一輪のみ「シロバナタンボボ」を発見した。
 
ガイドさんのお陰で、本当にゆっくりと時間を過ごすことができ、林内の広場で昼食を摂った。
 昼食を摂った後、極楽橋を渡り、秀頼・淀殿自刃の地の碑を遠くから眺め(通行止めの為)、 更に石垣建設にあたり、運び込んだ石には担当した藩の刻印が刻まれているが、その刻印石を集めた広場を見ながら天守閣に向かった。
 天守閣を背景に集合写真を撮影後、まず天守閣 の8F展望台に上り、地上50mから広大な大阪城と大阪のまちや生駒、二上山等の眺望を楽しんだ。天守閣内は各階ごとに以下の展示があり、上から順にその展示をゆっくりと見学しながら降りていった。
  7F・・豊臣秀吉の生涯をわかりやすく紹介
  5F・・大阪夏の陣屏風と東西の武将を紹介
  4F・・天守閣所蔵・寄託の代表的な武器・武具
    鎧、兜、刀剣等の重要文化財等
  3F・・黄金の茶室、復元模型図
  2F・・天守閣に使用の鯱・伏虎等のレプリカ
皆さん熱心にゆっくり時間をかけ見学された。
 大阪城公園のHPを見ると、貴重な古建築物を探索する指定文化財モデルコースが紹介されていた。 折角の機会なので、天守閣見学後、このコースを天守閣から大手門まで、順番を逆に歩き、古建築物を見学することにした。

M天守閣(登録指定文化財)・・・
豊臣秀吉創建の初代、徳川幕府再建の2代に続く3代目の天守閣は、昭和6年(1931)に全額大阪市民の寄付金で建設された。徳川・現代の天守閣は初代の上にあり、地下に初代の石垣発見が話題となった。

L金明水井戸屋形・・小天守台上にあり、 昭和44年(1969)解体修理のさい、天守と同じ寛永3年(1626)の創建とわかった。

K金蔵・・「きんぞう」とも呼ばれ、徳川幕府の金貨・銀貨の保管庫だった。宝暦元年(1751)に二階建、天保8年(1837)に平屋建に改造。腰壁は美しい生子壁。防火・防湿・盗難防止など厳重な装置が見られる。昭和35年(1960)解体修理。
◆旧第四師団司令部庁舎
昭和6年建設の歴史ある洋館。現在はミ ライザ大阪城として食事や買い物を楽 しめる場所となっている。
◆桜門桝形の巨石
城内1位の巨石。表面積およそ36畳 (59.4u)、重量108トンと推定される。
J桜門・・戊辰(ぼしん)の役(1868年)で焼失したが、明治20年(1887)陸軍の手で徳川時代の様式のままに復元された。昭和44年(1969)解体修理。
I一番櫓・・南外堀に面して二の丸南面隅櫓7棟のうち一番東に位置しているのでこの名がある。玉造門を側面から防御する役目をもつ。寛文8年(1668)大改造され現在の姿となった。昭和40年(1965)解体修理された。
H六番櫓・・寛永5年(1628)造営で、徳川大阪城再築の末期にあたり、様式・手法等に初期の乾・千貫櫓と違った特徴がみえる。昭和41年(1966)解体修理。
E千貫櫓・・大手門を北から防御する重要な役割を果たした二層の隅櫓。名称は石山本願寺を攻めた信長軍がこの付近にあった櫓を攻めあぐね、「千貫文を出しても奪いたい」といわれたことに由来するという。
G焔硝櫓、F乾櫓の2ケ所は有料の西の丸庭園内にある為、今回見学は省略した。写真はありません。
D多門櫓C同北方塀・・多聞とは松永久秀の居城「多聞城」の建物に由来する様式名。大阪城の他の桝形にもあったが、現存するのはこれのみ。
@大手門A同南方塀B同北方塀・・
大阪城の正門にあたり、追手門(おうてもん)とも書く。高麗門(こうらいもん)様式。寛永5年(1628)創建、嘉永元年(1848)修復、昭和42年(1967)解体修理。
以上M〜@まで(G・Fを除く)を順にゆっくりと見て歩き、大手門に15時前に到着した。本日の観察会は終了し解散した。

 本日は行先が変更となり、参加者が減ったこと、梅の開花が遅く満開の状況ではなかったことは残念でした。しかし天気が良く気持ちよく歩け、又時間的にも余裕があり、天守閣では心配していた「密」になること無く、丁寧に詳細に大阪城を見学でき、歴史を改めて学習できたので良かったと考えます。 ご参加の皆様ご苦労様でした。

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