観察会記録(2020年1月度)
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太閤道ハイキング
観察会 : 2020(令和2年)年1月24日(金) 時間 : 10時~14時50分 天 候 : 晴時々曇 コース・タイム : JR高槻駅集合10:00→磐手公民館10:30→太閤道登山口10:40→金龍寺跡11:10→ 見晴台12:00 昼食・集合写真・連絡等 見晴台出発12:45→若山三角点12:50→ 送電線下新展望所12:55→三川合流が見える所13:10→シイ天然林13:50→若山神社14:30→ JR島本駅14:50(解散) 参加者 : 15名 |
観察会概要 太閤道は明智光秀謀反のとき、豊臣秀吉が備中高松城(岡山市北部)攻めの途中引き返しにここを通ったとされているが、岡山から急いで引き返し、あと 2~3時間で山崎に着くと言う時に、わざわざ時間が掛かる狭い山道を通ったとは考えにくい。本当のことは???。 数日前からの天気予報ではずっと雨が出ていたが、前日の予報で急に好転、実施することになった。 |
高槻駅を10時頃出発、磐手公民館で小休止。名神高速道路の下を過ぎた所の緑水会病院の右横に太閤道登山口がある。ここには、また、金龍寺への二丁目石がある。翌日、一丁目の石がどこにあるのか気になって探しに行ったが見つけられなかった。 しばらく谷添いの道を上り十丁目の丁石を過ぎた辺りで休憩をとる。ここから先は九十九折の坂道をのぼって尾根に出る。 十二丁目の石近くに「イタジイ」の名札を付けた木があった。ネットで調べるとスダジイの別名とある。その向かいには上部が平らな岩があり「座禅石」の名前付けられている。 なるほど!! 崩れかった石段を上ると金龍寺跡に着く。最後の十三丁目の丁石は金龍寺跡にある。丁石横の池には石仏などがあり寺の雰囲気を残している。 |
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金龍寺は790年創建と伝えられるも戦国時代、高山右近の兵火に遭い消失したが豊臣秀頼によって再興された。明治時代に廃仏毀釈より荒廃しその後廃寺となる。1983年ハイカーの火の不始末により寺は焼失
。 現在はボランティアの人たちによって跡地の清掃が続けられておりハイカーの絶好の休憩場所となっている。 |
金龍寺跡から少し登ると凹凸の少ない稜線に着く。杉、桜、ソヨゴ等の倒木が目立つ。ハイキング道の倒木は歩くのに支障がない程度に処理されているが、 一昨年の台風直後はえらいことになっていたのだろうと思う。 |
昼食のため「見晴台」表示のある所に行くもここはクヌギの植林がされており見晴らしは良くない。少し手前の大阪市内のビル群が見える所で昼食を摂る。昼食後集合写真と幹事の連絡事項、 Oさんの提案で本日終了後サントリービールの試飲に行くのはどうか。この件は10名以上の希望者があったが先方指定の時間に間に合いそうもなく取りやめ。 |
ほぼ平坦な杉の人工林中に若山三角点(三等三角点 315.2m)がある。その向こうには鉄塔が何基かあり送電線の下の樹木が切り払われ新しい展望所が出来ていた。こちらで昼食にすればよかった。某氏曰く“食い直しをすれば!! |
10分程歩くと狭い舗装路に出る。 間もなく三川合流が見えるビューポイントに着く。 左から、桂川、宇治川、木津川の順。 四つ辻からはゴルフ場のェンスに沿って左回りに 1K m程進むと大阪府環境保全地域のシイ天然林に着く。 右に下山すると急坂になり間もなく若山神社に着く。 暫く休憩の後帰途に着く。 14 時 50分 JR島本駅に着く、ここで解散する。 本日の歩行距離は10.2Kmでした。 |