観察会記録(2019年 1月度)
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奈良県・大和三山観察会
観察日: 平成31年1月4日(金) 時間:約6時間半 天 候: 快晴 コース : 大和八木駅→耳成山神社→耳成山→醍醐町→藤原京跡→畝尾都多本神社→奈良文化財研究所(30分見学)→ 香久山(昼食)→天岩戸神社→本薬師寺跡→畝傍山→橿原神宮→近鉄・橿原神宮前駅 コース・タイム : 大和八木駅(9:42)→耳成山神社(10:05)→耳成山(10:20)→醍醐町(10:40)→藤原京跡(11:10)→ 畝尾都多本神社(11:45)→奈良文化財研究所(30分見学)(11:55)→香久山(昼食)(12:35)→ 天岩戸神社(13:55)→本薬師寺跡(14:20)→畝傍山(15:15)→橿原神宮(15:50)→近鉄・橿原神宮前駅解散(16:20) 参加者 : 13名 |
「観察会概要」 新年(平成最後のお正月)を祝う。正月三が日も過ぎ、2019年第一回目の森林文化科の集いである。朝方、放射冷却の影響で冷え込んでいたが、日中は気温も上がり、風もなく大和三山をめぐるには最適の天候であった。また、大和三山(@耳成山、A香久山、B畝傍山)が、諸手を挙げて我々を待っているかのような錯覚を覚える一日でもあった。 |
★集合時 |
気温は低かった。近鉄電車から降りると、ブルブルッと震え、やっぱり奈良は寒いと感じた。集まった科員に『大和三山回遊コース』の地図を配る案内役のFさん。 | |
歩き始めると、風もなく太陽光が背中をあっためていく。ちょうどよい、言わば、いい塩梅である。 |
★耳成山(遠望) |
快晴の空の下、遠くに耳成山が見える。 大和三山の中では最もバランスの取れた美しい 形をしている。《標高 139.7m》 |
★藤原宮跡 |
【藤原宮は一辺約 1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京は16 年間の都でしたが、藤原宮の構造はその後の都にも引き継がれていきます。 】【 藤原宮跡では、季節ごとに美しい花が植えられ、菜の花やコスモス、キバナコスモス、ハスなど色とりどりの大地のカーペットを楽しむことができます。また、藤原宮跡は大和三山の絶好の眺望スポットとなっています 】との説明を【橿原探訪ナビ】から拾う。(引用) |
★奈良文化財研究所 |
ここは、ビデオテレビや藤原宮跡から発掘されたたくさんの遺物があり、じっくりと腰を据えてといきたかったが、後ろ髪をひかれる思いで香久山へむかう。 |
★香久山(昼食休憩) |
持統天皇の有名な歌、「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天の香久山」 が残る。 大和三山の中ではもっとも有名な山である。 (標高: 152.4 m) |
★昼食風景 |
★天岩戸神社 |
★初詣? 何をお祈りしているのでょうか? |
天岩戸ということで、この神社は“天照大御神”を祭神としています。詳しいことは古事記を読んでください。または、宮崎県の高千穂へ行かれて学ぶもよしでしょう。 |
★畝傍山 (標高: 199.2m) ※大和三山はすべて国有林である |
【大和三山の中で最も高い山で、耳成山と同じく死火山である。畝傍山の東部裾野に神武天皇陵、南西部に安寧天皇陵、南部にイトク天皇陵があり、これら一帯は広大な森が広がり、荘厳且つ深閑とした雰囲気を湛えている】との説明を【大和三山を登る天香久山 畝傍山 耳成山 】から拾う。 (引用) |
★橿原神宮 |
この日は 1月 4日(金)であった。しかも、時刻は午後3時半を過ぎ 4時に近づいていた。にもかわらず、大勢の参拝客でごった返えしていた。橿原神宮の持つ意味は何だろう。そして、そこへ、なぜ人々は集うのだろうか・・・。(手帳に記録を書き込んでいる間に、科員の皆様からはぐれ、迷子になりそうであった。) |
★全体写真※畝傍山の頂にて記念撮影 |
★☆★編集後記★☆★ 平成最後という言葉。何度聞いたことであろうか。耳にタコができる。とはこのことを言うのであろうか。 年の暮れから新年にかけてテレビで、人気ジャーナリストの池上彰さんの番組をずっと見ていた。「元号が変わると日本の人たちは、時代が変わる、さぁ、新しい時代がやってくるのだ。 」という気持ちになります。とのことであった。 高槻市の自宅を出、 (遠いなぁ&長いなぁ。姫路に行く方が速いわぁ。)などと思って、近鉄大和八木駅に着いた。森林文化の皆さんとも新年のあいさつを交わし、さぁ、これから初詣や!! という気分にスイッチが入れ替わったのである。 三山を登るのか、いくら低山でも三つはとネガティブな思いもあった。三山ならず散々目にならぬがよいが・・・。どでかい【藤原宮跡】を見て、このころの権力者はどんな人物だっただろうと思いをはせてみる。人々の暮らしを思う。 仏教よりも神道だったのだろうかとか・・・。 畝傍山に上り、集合写真を撮っているときには、新年始まって以来のいい顔をして、カメラに収まることができた。大和三山に、何か惹かれるものがあった。私の先祖から何らかのメッセージが発せられているのだろうか。よくはわからないが、新鮮な気分で大和三山を巡ることができた。ただ、不勉強でいけないのだが、藤原宮になぜ、三山が必要であったのであろうか。謎を解けないでいる。何とか新元号に代わる今年に、なぞ解きを目指そう。 |
追記:無患子 (ムクロジ)の実。※いい数珠(または、アクセサリー)ができることを祈っております。 |