UP 2013.07.22 ISH
シニア自然大学校環境科7月度 施設見学
タマノイ酢本社工場・「竹林園」「翠竹園」 見学 |
■日時: 2013.7.19(金) 8:50〜16:00 天気 晴
■集合: 大阪駅前第4ビル前 8:50
■行先: タマノイ酢本社工場(大和郡山市昭和工業団地内)、竹林園・翠竹園(生駒市高山)
■参加者: 環境科 41名
目的
1.人間が手を加えて作った最古の調味料で、現代では、健康維持のための食生活に重要な役割を占めている酢の製造工程を理解し、酢が食生活で健康維持に果たしている効能について学ぶ。
2.日本の伝統である茶の文化の道具の一つである「茶筌」の製作工程を見学し、その技術の一端を知り、茶の文化を感じ取る。
行程
9:00 大阪出発 10:00〜12:00 タマノイ酢本社工場見学 12:00〜 移動 13:00〜13:30 竹林園にて昼食 13:40〜14:50 茶筌の製作実演を見学。お茶・お菓子をいただく。 15:00〜 竹林園出発 16:00 大阪着 |
〔1〕 タマノイ酢本社工場見学 |
9時 大阪を出発、梅田から阪神高速、西名阪道の法隆寺IC経由でタマノイ酢本社工場 に向かう。 車中でタマノイ酢の会社の概略の説明(鹿喰)があった。(タマノイ酢の本社工場は省力無人化を徹底し、またHACCPの実践により、高い衛生基準をクリアし、最新鋭の設備が整った工場です。)
10時〜12時 工場の外観はレンガ造りの落ち着いた感じの建物であった。
見学始まるが、工場内でのカメラ撮影は禁止ということであり、そのため製造工程見学の写真がないので了解ください。
(コメント…見学をしない工場が多い中、見学を受け入れていることは評価できる)
1.研修室にて、「酢の製法」の説明 酢の原料は、米、大麦や小麦やコーンなどの「穀物」、リンゴやブドウなどの「果実」。 それらを酵母菌でアルコール発酵⇒ 酢酸菌を加えて酢酸発酵させると酢になる。 酢酸発酵のやり方には、「静置発酵」と「通気発酵」の2つがある。 「静置発酵」は、1ヶ月ほどそのまま置いておくやり方で、深みのある味が出る。 「通気発酵」は、2〜3日空気を入れてかく乱して仕上げる。すっきりした味となる。 |
![]() 酢の説明 |
![]() 酢の種類について |
![]() 穀物酢と関連商品 |
2.二班に分かれて製造ライン見学 初めに、展示室で、人形によるピアノ演奏を聴く。 コメント… 酢につての詳しい歴史でも聞かせてくれる のかと思いきや単なる曲の演奏で拍子抜けという人が多かったようだ。 もっと詳しく歴史にも触れてほしい。 参考までに「タマノイ酢」のことに簡単に触れておく。 ※ 堺ではその昔から「和泉酢」という黒酢の製造方法が伝承され、16世紀末期に「玉廼井(たまのい)」という商標が使用されるようになった。 1893(明治26)年には、アメリカ・シカゴで開催された万博で名誉金牌賞を受けた。 1907年に、大阪府下の酢蔵5社が集まり大阪造酢株式会社として創業され、1963年に「タマノ井酢株式会社」に社名を変更。1994年に社名登記を「タマノイ酢株式会社」と変更して現在に至る。 この工場は、1968年にできたとのこと。 動物実験室の横を通り、防虫、衛生を考えて空中通路を通り、製造工場に入る。 倉庫と4つの製造場がある。 タマノイ酢は、「見せる工場」を目指し、積極的に見学者を受け入れているといわれるだけあって、見学者用にきれいな絨毯が敷かれている。 この絨毯の清掃は従業員がやるとのこと。 製造場のエリアは、上の窓から見学者が見ることができるようになっている。 部屋はエリアごとに完全に壁で区切られ、エリア・ラインごとに室温・湿度・衛生度のレベル段階が設けられ、従業員が中に入る時は徹底して衛生チェックがなされている。製造エリアは、大きく、原料室、ブレンド室、仕上げ部屋の3つに分けられている。 まず、素材となる粉末造りのエリアに入る。オートメーション化が進み、この部屋の従業員は2〜3人であった。 次に、醸造工程のエリアだが、ここは装置しか見えないので、詳しくはビデオで工程の流れを見る。 最後に、容器詰め・こん包の流れを見る。容器は、主には軽量化を考えて、プラスチックのものを使っているという。 容器の大きさによって、ラインの流れるスピードが違うが、ここでもオートメーション化がすすんでいる。 ただ、ビンの中身に異物が入っていないかどうかのチェックは係の従業員がやっているし、味覚チェックは社員がやる。社員は、研究者も入れて、200人ぐらいとのこと。 |
![]() 展示室にて見学 |
![]() 健康飲料の試飲 |
![]() お土産もたくさん頂きました |
3.「酢の効能」の説明と質疑応答(研修室にて) ・酢の効能 @疲労回復 Aカルシウムの吸収 B減塩効果…味付けで塩分に替るものとして使える C防腐・殺菌 についての説明があり、また、タマノイ酢の製品である50年の伝統を持つ「すしのこ」や「粉末中華調味料」、「はちみつ黒酢ダイエット」等のドリンク類の宣伝もあった ・質疑応答〔工場長による応答〕の主なもの 酢酸の濃度の基準について⇒ JAS法の「食酢品質表示基準」により、同基準による表示の名称を用いることになっている。例えば、穀物酢は、穀物の使用量が40g/l以上のものを指す。 環境問題に対する対策はどうしているか⇒ 酒粕は家畜のエサとして処理している。臭いは、水に吸着させて処理している。 特に近隣地域で問題になったことはない。 質疑応答後、お土産の製品をいただき、全体写真の撮影をして、会社を後にした。 ・コメント 堺の古くから慣れ親しんだタマノイ酢株式会社が立派になり、見学期間は5月〜10月とのことで今回の企画となりました。工場見学予約完了書のフアックスが6月17日、申込み完了が7月12日となり、見学案内が遅くなり、環境科の皆様や班長にご心配をかけました。企画・計画の大変さを痛切に感じました。 また人間が生きている間は多少に関わらず環境につながって要るのでは(昔の生活環境〜現在の生活環境)と感じました。 |
![]() |
[2].「竹林園」「翠竹園」での見学
(13:00〜14:50)
12時〜13時 生駒市高山の「竹林園」へ移動
車中で茶筌の歴史の資料を見ての説明(羽尻)があった
13時〜13時30分 竹林園にて昼食
13時30分〜14時30分 翠竹園にて茶筌の製作実演を見学
14:30〜14:50 竹林園にてお茶とお菓子をいただく
※ 茶筌の歴史などのついては、「翠竹園」での稲田さんの実演でも話されたが、その概略を紹介しておく。 <茶筌の歴史> 高山の茶筅では「筌」の字を使うことが通例です。 奈良県生駒市の高山地区では、茶筌と柄杓、茶杓等の茶道具や竹製品が製造され、茶筌生産は年間70万本で全国の90%を占めている。日本では、16世紀、茶の湯の興隆とともに茶筅の生産地も広がりをみていきました。 室町時代、高山は大和国添下郡鷹山村といい、鷹山氏が村を支配していました。 鷹山城主の頼栄の次男の宗砌(そうぜい)は僧侶となり、興福寺の近くに屋敷を構えたが、村田珠光が茶道を創始した頃、親交のあった宗砌に抹茶を茶碗の中でかき混ぜる道具造りを依頼した。それに応じて宗砌が考案したのが「茶筌」です。その後、後土御門天皇から彼の造った茶筌に“高穗”という名前を付けていただき、「高穗茶筌」が有名になり、領主は地名・家名の「鷹山」を「高山 」に改めました。 江戸時代、高山氏は京極家に仕官する事になり、一族を率い丹後の宮津へ赴任したが、高山を離れる折、家臣の十六名に秘伝の茶筌製作・販売を許した。以来、これら家臣十六名は一子相伝で茶筌の製作をしてきた。 ところが、昭和の時代を迎えて、人不足のためこの制度は崩れ、技術も一般に公開される様になった。また、高山生産の茶筌は、昭和50年に国の「伝統的工芸品」の指定を受けた。 <筌造り> 主に、淡竹(はちく)を材質にする。 硬く粘りのある3年目の竹を11月〜2月にかけて切り出し、湯で煮沸し、油を抜いてから1ヶ月露天乾しにし、白竹にする。その後、数ヶ月から数年の間、倉庫で寝かせてから加工する。竹材は、裏千家では白竹を、表千家では煤竹を、武者小路千家では紫竹を使う。 ※ 煤竹(すすだけ)… 天然の竹で人家に使われていた白竹で、釜戸、囲炉裏の煙で燻されて、こげ茶色になった竹。高山では天然煤竹のみを使用している。 竹林園に到着したが、この日も照りつける暑さであった。熱中症になったら困るので、研修部屋をとり、部屋で研修しながら、食事をした。 |
竹林を見ながら昼食
竹林園入口
1.茶筌造りの実演見学
(13:40〜14:15)
富雄川の西の道路の横にある「翠竹園」に徒歩で移動し、稲田有節さんの茶筌造りの一端を見学する。稲田さんは、一子相伝の技術を受け継がれてきた子孫であるが、正倉院宝物の斑竹横笛の模造品を作成するなど新しい商品開発にもチャレンジしている方だ。
稲田さんは時間での制約がある中で、ポイントを抑えて実演され要領よく説明された。
まず、白竹一本から円筒形の「コロ」を作る(6個ほどとれる)。次に、穂先となる部分の皮をむき、根本側から節近くまで16等分に割る。等分したそれぞれを外側にこじあげて、竹の肉を外し皮だけ残し、目的とする穂数に割っていく。八十本立なら16等分したそれぞれを5等分し、さらに不均等に2つに割る(小割り)。それを湯に浸して柔らかくして、穂の内側をこするように削いで薄くしていく(味削り)。外穂の面取りをする。仕上げは、糸で編んで外穂を広げ、穂先をしごいて形を整える。以上の行程であるが、特に、小割り、味削りの繊細で微妙な指先の作業は感嘆させられた。終わりに、一子相伝のこの技術は今後も受け継がれていきますかとの質問に、「いや経営面で苦しいので難しいですね」と答えが返ってきた。国の「伝統工芸品」指定の補助金は高山の産業組合には入るが、製作されている方には関係がないともいわれた。説明後、展示商品を買われる方も多かったが、男の方の何人かは自分の耳に合った耳かきを選んで買われていたようだ。
![]() 白竹一本から円筒形の「コロ」を作る |
![]() 茶筌造りの伝統の技を実演しながら説明 |
![]() 仕上げは、糸で編んで外穂を広げ、穂先をしごいて形を整える |
![]() 伝統の技に感心 |
![]() 展示即売品 |
![]() 各流派の茶筌の展示 |
竹林園の和室で日本庭園を見ながら、各自、用意していただいた抹茶にお湯を注ぎ、茶筌で茶を点て、お菓子をいただく。茶筌は何度も使われたか、穂先が少し乱れていた。ほんとに繊細な道具だなと改めて感じ、和室の掛け軸の文字の解釈を論じながらくつろいだ。 今回は、暑い中でもあり、竹林とか円楽時の跡など見学できなかったのが残念であった。 |
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笹陰に 音を響かせて きりぎりす 二三弥
今回は、暑い中でもあり、竹林とか円楽時の跡など見学できなかったのが残念であった。
集合写真撮影後、バスへの乗り込み
16時 帰阪 JR大阪駅西側ガード下にて解散
文/羽尻、鹿喰、俳句/鈴木、写真/羽尻、飯盛、平山
企画,世話役/羽尻、鹿喰