JR天満駅から北へ5分の所に天満卸売市場がある。江戸時代には青物市場と呼ばれ、豪商「淀屋」が開設したもので1653年には現在の付近に開かれたものが、天満市場の前身のようである。昭和6年には中央市場に統合されるまで周辺の歓楽街と併せて賑わった。戦後、天満卸売市場が再建され、平成17年に「ぷらてんま」ビルの中に天満市場は有り卸売が中心から小売も始まった。少し西に入ると天神橋6丁目から1丁目迄約南北2.6kに店舗が600軒の日本一長い天神橋商店街がある。
市場から10分弱天神橋商店街を北へ歩くと大阪くらしの今昔館がある。今回は小学生の見学でガイドを依頼できなかったが、9階では江戸天保初年(1830年頃)の大坂の町並みを実物大で復元している。復元は火の見櫓・表通りには唐物屋(平賀源内が発明したエレキテルが軒先にあり)・小間物屋(化粧)・合薬屋で看板にウルユスとあり、最初の洋名売薬として大坂や江戸で有名ではあり輸入薬と思われた。裏長屋に入ると共同井戸・便所があり建物は一棟で4家族の設定、6畳部屋は1畳半が土間で4畳半がを居間にしてあり生活用品が設置。風呂では当時大坂の商家の使用人の説明があった。1年の休みは正月と盆の2日で丁稚や女中が奉公先から実家に帰れた。但し、遠方の者は帰れなく買い物や芝居などで休みを使った。
8階の明治・大正・昭和初期では東京を経済的に凌駕していた大大阪の展示物や、町の模型や天王寺で行われた万国博覧会や戦後の住宅事情を、反映した終戦直後のバス住宅や30年代の古市団地での文化生活(三種の神器)又、ラジオ・テレビ・アイロン・氷で冷やした冷蔵庫・女優のポスター等が展示され、懐かしく見学した。
日本一の天神橋商店街を通り、繁昌亭へ午後より10名の落語・浪曲・紙切りなどが有り、古典や現在の話題に大いに初笑いをした。 亭は平成18年に開席し、上方落語の随一の寄席である。用地は天満宮の用地を無料で提供を受け、建設費2億4千万円は個人・企業の寄付。繁昌亭名は6代目笑福亭松鶴の発案により千里中央センターホールで上方落語協会が主催していた千里繁昌亭に由来する。 |